■生年月日 1947年12月生まれ 出身地(大阪府岸和田市)
■職歴・経歴
1947年 大阪府生まれ。百貨店勤務を経て、1971年結婚。
結婚後は、主婦として子育てとミカン農業に励む。
1987年 夫婦で不動産会社を設立。自身も宅建主任の資格を取り取締役に就任。
1994年 46歳の春、子育てを終え、その後の自分の人生を考えた時、
「とにかく人と違ったことをやってみよう!」とタレント養成事務所に所属。
ユニクロの“オバハン下着編”CMやテレビなどに出演し、お茶の間の人気者となる。
1996年 所属事務所を卒業し、独立して個人事務所「みかん山プロダクション」を開業。
その傍ら、元銀行マンの夫と夫婦漫才『辻イト子・マガル』を結成、1998年には吉本興業に所属。
現在、(有)みかん山プロダクションの主婦タレント90余名の代表として活動する他、地域
でのお笑いライブや、関西地区の老人施設にて『訪問イベント』を開催しながら、
活躍の場を広げている。
■講師メッセージ
知的障害のある長女を育てるに際して、「いつも明るく」をモットーに普通のミカン農家の主婦としてやってきた私がヒョンなことで“畑違いの芸能界”で、「いくつになっても輝きを」という第二の人生を毎日楽しく過ごさせてもらっております。
長女が3歳の時、ケイレンをおこして救急車で病院に運ばれ精密検査をしてもらいました。
すると頭内に小さな傷があることが判明、先生曰く「この傷が原因で癲癇性のケイレンをおこすのですが、手術で除去することは不可能です」「娘さんは一生この傷を抱えたまま成長しなくてはなりませんが、大きくなるにつれて他のお子さんと比べて段々と開きが出てくるでしょう」所謂、知恵遅れになるとの判断でした。
その言葉を聞いた時のショックは大きく、絶望的になったが小・中学校での全校でも2~3人だけの「特別学級」での授業も登校拒否もなく通ってくれた。そして、養護学校高等部での3年間の学校生活で知り合った同じ境遇の仲間との友情を母子ともども共有することができた喜び。卒業後は地元の「クリーニング工場」へ17年間、今も毎日一人でのバス通勤をしてくれているが、今の私があるのはこの子のおかげだと思っている。
又、その間に農業一筋の実父が77歳の時に脳卒中で右半身マヒとなり、病院療養でリハビリをするも回復の見込み無く、入院生活5ヶ月後に自宅療養に切り替えました。
ところが本人の“頑張り”で介護中に奇跡の回復を見て、再び「みかん栽培の農作業」が出来るまでになりました。平成4年86歳で亡くなるまでの9年間の自宅介護は、日常の行動においても、50%の手助けだけで行ってくれました。この父親の頑張っている姿は「諦めなければ、なんでも可能になる」という無言の教えとなりました。
そして、親の介護と子供の養育から解放された時にヒョンな切っ掛けで芸能界へと飛び込んだのです。
2年間の「タレント養成学校」在籍中に30数本のCMに出演して「浪花のCM女王」とマスコミで話題にされました。
タレント養成学校を卒業後、ダンナと二人で創めた芸能プロダクションに「私も辻さんのように輝きたい」「バブル経済崩壊を契機に世の中が変貌、素人のテレビCM出演が多くなり自分達にもチャンスがある」とオバチャン達が集まってきました。
そして、いつの間にか90数名(最高年齢は87歳)の大所帯になりました。
「更年期障害」や「うつ病」で悩んでいた人も病気もフッ飛んで「漫才・コント・ダンス」など等、皆さん楽しくやっております。
「おかあちゃん」が元気に楽しんでいると、「夫婦円満」となり自然と家庭が明るくなるのです。
そうすれば、ご主人も仕事に出た時に「今日も頑張るぞ!」と言う気持ちになるのです。
皆さんも「第2の青春を楽しみましょう」。
自分の足を一歩前に踏み出せば、新しい自分を見つけることが出来るのです。
私自身も「まだまだ輝いていたい」と、夫を引き連れて50歳を過ぎて夫婦漫才(吉本興業所属)に挑戦して10年になります。
以上のようなことを90分間「普通のおばちゃん感覚」で「おしゃべり」し「涙あり、笑いあり」で好評を戴いております。
(講演80分+夫婦漫才10分の形式でも行っております)
JA・商工会議所・社会福祉協議会・教育委員会・
地方自治体・ライオンズクラブ・ロータリークラブ 他
年間100ヶ所以上
トレーナーズ運営事務局
TEL:0120-000-0638 FAX:03-6680-0043 E-mail:trainers@koushihaken.jp
受付時間:月~金曜日 10:30~17:00