日本トライアスロン草分け的存在であり、
プロ・トライアスリート第1号。
野球の名門高校の顧問としてチームを甲子園に導くも、
選手との練習中にヒザを負傷し入院生活を送る。
その時に「これが完走できるようになっている頃には、ヒザも治っているはず」と
リハビリとして始めたのがトライアスロン。
しかし、そのトライアスロンに没頭していくことに。
当時、数年前にアメリカで始まったばかりで、
日本に紹介されてわずかな月日しか経っていなかったトライアスロン。
もちろん、競技者もわずかであり、
とてもそれで生活をしていけるとは誰も思わないような時代であった。
そんな中、飯島は結婚直後にも関わらず、
教員と言う安定した職業を捨て、
当時、日本トライアスロン連盟会長であった長島茂雄氏の後ろ盾もあり、
競技に専念し、勝負するためにプロとなる。
その後単身渡米する等、
己の道を切り拓き、パイオニアとして一時代を築いた。
1998年に競技を引退後、「働くとは何か?」を自らに問うために、
志願して100日間地下鉄工事現場で経験もある。
トライアスロンが五輪正式競技となった2000年シドニー五輪では代表監督、
2004年アテネ五輪では三宅義信総合監督(ウェイトリフティング・ローマ五輪、東京五輪金メダリスト)のもと、
女子ヘッドコーチを務めた。
自ら指導する選手も、競技歴1年強の選手を代表チームのエースに育てあげる等、
厳しいながらも指導者としても定評がある。
「選手指導の原点は、人間教育にあり」を方針として選手教育にあたる。
その実力は、高校教員時代の甲子園出場、水泳部インターハイ出場、
そして、トライアスロン界での数々の実績が証明する。
その独特で的確な指導法は、スポーツ界にとどまらず、
教育界や、指針の見えない実業界においても役立つものと言える。
・オシュマンズ原宿店
・西武スポーツ館(武蔵野市吉祥寺) 計6回
・ヴィクトリア(神田) 計12回
・武蔵野市 計78回
・スポーツフォーラム
・日本大学第二中・高等学校 計2回
・杉並区立井草中学校
・練馬区立光が丘第二中学校
・札幌市体育協会・教育委員会(北海道札幌市)
・藤野市講演会(山梨県藤野市)
・駿河トライアスロン大会開会式会場(静岡県)
・蒲原青年会議所(静岡県庵原郡)
・阪急イングス(大阪府) 計2回
・円応教青年会
・東京電機大学
・星槎学園高等部 さわらびの会
・南足柄中学
・SBS
・廣済堂運輸
・国立能登青年の家
・熱海市PTA協議会
・富士通経営研修所 計2回
・タヤマクラブ遊技部会
・ブラザー工業株式会社
・東南置賜PTA連合会
・七尾市立東部中学校
・創和ジャスティック建設株式会社
・千葉県立柏陵高等学校 保護者会
他多数
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