1968年 11月7日生まれ。愛知県知多市出身
1984年 愛知工業大学名電高等学校に入学
1987年 ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団
2003年 オリックス・ブルーウェーブに移籍
2005年 50年ぶりにプロ野球界に新規参入した東北楽天の創設メンバーとして加入
2011年 東北楽天から戦力外通告を受けるも、中日ドラゴンズへ移籍
中学時代の野球部では県大会止まりの成績だったが、相撲では愛知県で優勝し全国大会へ。
卒業時には複数の相撲部屋からスカウトがあった程の体力の持ち主。
卒業後は野球の名門・愛知工業大学名電高校(主な出身選手:工藤公康投手、イチロー選手など)に入学。
甲子園出場こそ無かったものの通算56本塁打をマーク。
地元・中日ドラゴンズに捕手としてドラフト2位で入団。
ルーキーイヤーの1987年に米国のマイナーリーグに1年間の野球留学。
その後、才能が開花し、プロ3年目で1軍デビューを果たす。
一見、順風満帆な野球人生に見えるが、栄光と挫折を繰り返し、プロ生活を歩み続けてきている。
オリックス時代には野球を辞めることさえも考えるほど、選手としてドン底を経験。
しかし、恩師となる野村克也氏(元東北楽天監督)との出会いにより再び才能に花を咲かし、
チームの主軸として目覚しい成績を残す。
一方、自身の娘の誕生日や、野球教室で訪問した小学校、被災地で出会った少年らとは、
その日の試合で本塁打を打つことを約束し、
実際に成し遂げることで有言実行の姿を見せている。
2008年に発生した岩手・宮城内陸地震の復興支援として
本塁打1本あたり10万円、総額280万円を宮城県栗原市に寄付。
同市では感謝の意を込め、栗原市栗駒球場の愛称を「山崎武司球場」としている。
また、2011年に発生した東日本大震災では、地元球団である東北楽天の顔として
率先して被災地での支援活動を行っている。
2011年、球団創設から7年間袖を通した東北楽天のユニフォームを惜しまれながら脱ぐことになるが、
その別れを惜しみ泣きじゃくるチームメイト達に胴上げされ、
試合後まで残っていた多くのファンとともに涙した光景は記憶に新しい。
2012年は10年ぶりに古巣・中日ドラゴンズへ復帰し、開幕4番を務めた。
不本意な結果で進退を考えたが、2013年シーズンの現役続行を決断。
プロ27年目のシーズンで完全燃焼すべく、2013年シーズンを迎える。
【プロ通算成績】(※2011シーズン終了時点)
プロ25年間で2108試合に出場し、402本塁打・1781安打・1185打点。
本塁打王2回(1996(中日)、2007(東北楽天) ※セ・パ両リーグでの獲得は史上3人目)
打点王1回(2007)
ベストナイン3回(1996外野手、2007・2009指名打者)
オールスターゲームMVP2回(6回出場)
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